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◆夫婦で世界一周





写日記27.ペルー縦断

ペルー(クスコ、マチュピチュ、ワラス)

2008年2月11日〜2月23日



かつてインカ帝国の都だったクスコは、インカの人々が築き上げた建築物を徹底的に破壊し、その上にスペイン人が新しく教会などを建てた町だ。「カミソリの刃も通さない」と形容されるインカの石組みはさぞかし綿密に設計され、強固なものだったのだろう。その後クスコを襲った大地震では皮肉にもスペイン人の手による建築物だけが崩壊したという。


今あるクスコの町並みは、インカの人々にとっては歴史の悲哀を象徴するものなのかもしれないが、一旅行者にとっては趣きを感じさせるものがある。あらゆる建築物は茶色を基調として町全体に美しい統一感をもたらしているし、インカの石組みに挟まれた路地を歩けば往時の息づかいが聞こえてきそうだ。


しかしクスコ訪問が二度目となる僕にとって何よりも驚いたのは治安の改善だ。中心部のアルマス広場付近には警官があちこちに配備され、多くの観光客が夜も出歩いていた。六年前訪れたときには、治安の面で悪名高かったクスコを一人で歩き回る気にもなれず、最低限の外出で済ましていたことを思うと隔世の感がある。


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茶色で統一され美しいクスコの町並み


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侵略者が建てた教会も今では町のランドマーク


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石畳の路地もいい


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観光名所にもなっている十二角の石


クスコでペルー、エクアドルなど南米の一部の国で食されるクイ(ネズミの一種)に挑戦してみた。カエルのように、肉に対して骨がやたらと多くて食べるのが辛気臭い。味もどうということはなかった。


しかし、うまいものもあった。アドボという豚肉とタマネギ、そして唐辛子を一緒に煮込んだスープ。素材の味や歯ごたえが活かされ、滋味に富んでいた。嫁さんが見つけたきたスナックもよかった。小麦粉や卵などを混ぜた生地を、薄くドーナツ状に揚げたもの。シロップをかけて食べると素朴な美味しさがあった。


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調理前の冷凍クイ


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シロップをかけて食べるスナック


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ペルーの国民的飲み物、インカコーラも結構イケます


クスコで心に残った二つの風景。一つ目はアルマス広場から見る夜景。路地を抜け、アルマス広場に出た瞬間、パッと目の前に広がった絵。客観的にはラパスの夜景のほうが格上だとは思うが、不意を食らった分、こじんまりとしたクスコの夜景のほうが感動は大きかった。


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アルマス広場に出た瞬間、目の前には息を呑むような夜景が


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夜のクスコに三日月が浮かぶ


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教会も幻想的な美しさを放つ


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夜の路地の雰囲気も好きだった


二つ目が前に書いたアドボの美味しい安食堂でのこと。その食堂は朝から昼にかけては、数種類のスープと豚肉を揚げたものを安く提供し、地元の人間でいつも混んでいた。主人は大柄で、世界中どこでも真面目に労働している人はそうであるように、彼もいい顔をしていた。


僕らが朝食兼昼食にアドボをすすっているとき、一人の乞食が店に来た。僕は「当然」追い返すものだと思っていたが、主人がとったのは全く逆の行動だった。揚げたての豚肉をいくつかパンの上に載せ、それを紙ナプキンに包んで乞食に渡した。そして、乞食の肩を軽くポンポンと。励ますように。


心の琴線に触れたこの二つの経験に比べると、二度目となるマチュピチュへの訪問は淡々としたものだった。もちろん、マチュピチュが雲の中から徐々に露わにする様子はなかなかだったし、切り立つ山の頂に水路まで整備された町を創り上げたという事実には改めて頭を下げるしかない。しかし、正直に言うと感動という類のものは心に生じなかった。初めてマチュピチュを見た嫁さんがそれなりに楽しんでくれたのが唯一の救いだった。


あと、僕たちはマチュピチュに行くのに列車を使ったが(筋金入りのバックパッカーは一部行程をバスや徒歩とし、旅費を節約する)、これが往復一人100ドル近くもしたのも気に入らなかった。元を取れたかどうかの勘定が好きな大阪人としては、元が取れなかったという苦さが残った。


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マチュピチュに向かう列車からクスコの町を見る


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途中の駅で物売りのおばちゃんたちが客車に駆け寄ってくる


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朝一番で見るマチュピチュはまだ雲の中


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マチュピチュの背後にそびえるワイナピチュで雲が晴れるのを待つ観光客たち


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やっと雲が晴れマチュピチュが眼下に


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周りは仙人が住んでそうな切り立った山々


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定番の撮影ポイントで一枚


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山の上なのに水路が整備されていたとは驚かされる


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「王女の宮殿」の窓から見える景色


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「太陽の神殿」はマチュピチュ唯一の曲線建築


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何十段も連なる段々畑は壮観


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マチュピチュに住み着くリャマ


マチュピチュからクスコに戻って一泊したあと、翌日の夕方にリマ行きのバスに乗った。夜通し走ってクスコからアンデス山脈を越え、太平洋側の低地に下りると景色が一転する。オアシスに栄えたいくつかの町を除けば、ひたすら乾燥しきった台地が続く。ナスカの地上絵もこのあたりにあるが、嫁さんが興味を示さなかったこともあり通過(僕は前回見たがイマイチだった)。


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乾いた大地を貫いて走る


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荒野の中にぽつぽつとある見るからに貧しそうな集落


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久しぶりに見る太平洋


リマには昼過ぎに到着。ペルーの首都であり、南米有数の大都会だがここにも興味はない。興味はないどころか、バスを降りた途端「チーノ!チーノ!」と馬鹿にされ(チーノとは中国人のことだが、これを軽蔑的なニュアンスで使う民度の低いアホが中南米諸国には少なからずいる)、一刻も早く脱出したいぐらいだ。


タクシーを捕まえて、ワラス行きのバスが出ているバス会社に連れて行ってもらう。夜の出発時間まで時間潰し。バス会社の近くで通行人に勧められるまま入った小汚い食堂。ここで食べたタコのセビッチェ(マリネみたいなもの)と海鮮飯は、印象の悪かったリマでの数時間に一花添える味だった。


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リマの食堂で食べたタコセビッチェ。美味!


ワラスの町からはペルー最高峰のワスカラン山をはじめとする6,000メートル級の山々が見渡せるという話を聞き、山でも眺めながらのんびりするつもりでやって来た。が、情報収集不足。今は雨期。晴れ間が見えても山は厚い雲に覆われている。そして午後からはしとしとと雨が降る日が続いた。


のんびりするどころか嫁さん、僕と順番に腹を壊した。しかもバーロと呼ばれるストライキによる道路封鎖があり、次の町に移動もできない。肌寒い灰色の空の下、僕らはインターネットにほとんどの時間を費やしながら移動できる時を待った。中華料理屋の充実振りと、たまたまスーパーで見つけた『サッポロ一番』だけがワラスでの慰めだった。


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ワラスでは雨に降られまくった


バーロが終わり、体調がよくなったのを見計らって、ワラスを出た。次の目的地は隣国エクアドルなのだが、そう簡単にはペルーを抜けられなかった。まず、ワラスからトルヒーヨ、トルヒーヨからチクライヨ、チクライヨからピウラ、そしてピウラから国際バスに乗ってようやく国境越え。


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ピウラの食堂にて。いたずら好きの男の子に手を焼いていたお母さんとおばあちゃん


ペルーとエクアドル間の国境は場所によっては強盗がよく出る危ない地域があるが、事前に情報収集して安全なルートを選んだ。おかげで気が抜けるぐらいのんびりした国境越えで、イミグレ係員は嫁さんにマンゴをプレゼントしてくれるわ、虫除けスプレー貸してくれるわ、国境の写真を撮ることをウェルカムだわ……。


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ブタも渡る国境の橋。緊張感は全くなかった


国境を越えてロハという町に早朝着くと、そのまま首都のキトまでのバスに乗り継ぎ。エクアドルの自然は赤道が近いにもかかわらず、バスが通るルートは比較的標高が高い地域だったため、緑の牧草地が広がる優しい景色だった。


そんな景色でも一日見ていると飽きる。結局、キトに到着したのは予定時間を五時間過ぎた夜11時。車中で始まったねじれるような腹の痛さを抱えながら、見るからに清潔感のない宿にチェックインしたのは日付がもうすぐ変わりそうな時間だった。ワラスを出てから五十一時間、バスを五台乗り継いでの大移動がようやく終わった。



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