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◆夫婦で世界一周





写日記42.怪しき選民思想

イスラエル(エルサレム、テルアビブ、ベツレヘム)

2008年6月3日〜6月8日



宗教上、政治上、そして民族上、中東で孤立しているイスラエル。旅を楽しむためというより、パレスチナ問題の現状や三つの宗教(イスラム教、ユダヤ教、キリスト教)の聖地であるエルサレムという町がどういうものなのかを自分の目で確認したくてイスラエルを訪ねることにした。


まず入国がやっかいだ。イスラエルが敵対国家とみなしているシリアのビザが張られているパスポートは、僕らを怪しい訪問者に仕立て上げる。軍服を着た女性(結構可愛い)に「シリアに何をしに行ったのか?」、「シリアに何日滞在したのか?」などと尋問される。思ったほど威圧的でなかったことに安堵したが、その後パスポートが手元に戻ってくるまで一時間待たされた。


国境を越えると、エルサレム行きのバスに乗った。満席になるまでバスは発車しない。40℃近い車内でただ大人しく出発の時を待った。走り出したバスは乾いた荒野を突っ切っていく。この荒野はヨルダン川西岸地区と呼ばれるパレスチナ自治区だ。自治区とは名ばかりで、ここに住む人たちはイスラエルの顔色を伺いながら生活しなければならない。


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荒涼とした光景が国境からエルサレムまで続く


パレスチナ人というのはもともとこの辺りに住んでいたアラブ人。この土地にユダヤ人によるイスラエルという国家が建設されるとパレスチナ人は難民となった。周辺のアラブ諸国に逃げた人もいるし、パレスチナ自治区に住み続ける人もいる。


アラブ諸国(イスラム教)vsイスラエル(ユダヤ教)というのが一般的な捉え方だが、周辺のアラブ諸国に期待することをやめたパレスチナ人も多いと聞く。どうイスラエルに対するかでバックにいるアメリカをはじめとする西側諸国との関係が決まってくるから、声高にイスラエル非難がしにくいというのが周辺諸国の現状。そんな中で、パレスチナ人だけがどんどん苦境に追いやられている、というのが僕の理解だ。


でもイスラエルだけを悪者にしないように、できるだけ公平な目を保とうと努力してみる。そうすると、ユダヤ人が紀元前にこの地を追われ流浪の民となり、やっと二十世紀になって自分たちの国を再建することができたという歴史が見えてくる。


周りは自分たちを敵視するアラブ人。ユダヤ人も必死なのだ。やっと巡ってきたチャンスをつかみ逃さず、ユダヤ人国家の存続を意地でも貫こうとする心情は理解できる。さらに第二次世界大戦中にナチによるホロコースト(大虐殺)という地獄を経験したユダヤ人が、強い独自国家を築き上げようとするのは必然だろう。


そもそもこの地がユダヤ人とアラブ人の流血の舞台となってしまったのは、第一次世界大戦中に自国の利益を図るためにどちら側にもいい顔をしていたイギリスの「二枚舌外交」に起因する。昨今のアメリカによるイスラエル支持も、国内のユダヤ人が握る金と票をにらんだ上での政策にすぎない。結局、パレスチナ問題において加害者に見えるイスラエルも利用されている側なのかもしれない。


エルサレムにバスが到着した。イスラエルに来たという実感は湧かない。バスを降りたのが東エルサレムというパレスチナ人が多く住む地区なので、これまでに見てきた中東の町と大して変わりないのだ。一方、ユダヤ人地区となっている西エルサレムには洗練された町並みが広がっていた。


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東エルサレムはアラブっぽく雑然としている


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一方、整然とした町並みの西エルサレム


エルサレムには城壁に囲まれた大きな旧市街がある。ここに三つの宗教の聖地が存在する。ダマスカス門から城壁内に入ると、しばらくムスリム(イスラム教徒)地区が続く。狭い路地には小さな商店や露店が並び、アラブ系の人が多く行き交う。


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ダマスカス門の前で凧揚げする男の子


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旧市街のムスリム地区は見慣れた光景


まっすぐ突き進んでいくと、二千年の歴史を見つめてきた路地に似つかわしくないものが突然現れる。金属探知ゲートだ。そこで軍人に所持品をチェックされて晴れてゲートをくぐるとユダヤ教徒の聖地『嘆きの壁』に出る。理屈から考えるとこのゲートで任務に当たっているのはイスラエルの軍人のはずだが、顔つきはアラブ系に見えた。どういうことだろう。


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嘆きの壁の手前に設置されたチェックポイント


嘆きの壁はかつてユダヤ教の神殿が建っていた場所で、現在残っている神殿の外壁がユダヤ教徒の信仰の場となっている。黒い衣装に身を包んだ正統派のユダヤ教徒が、壁に向かい聖書を読みながら上半身を前後に動かしている。厚い信仰心の表れに違いないその姿は、異教徒の僕には奇異で滑稽に見えた。


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嘆きの壁に向かって嘆いているのか、祈っているのか


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安息日の始まりである金曜の夕方には嘆きの壁に多くの人が集まる


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まるでお祭り騒ぎ


ユダヤ教徒が祈りを捧げている高い壁の向こうには、黄金の丸屋根が青い空に輝いている。この『岩のドーム』はムスリムにとって大切な場所。壁を越えて敷地内に入ると、あれだけ壁の前にいたユダヤ教徒が姿を消し、ムスリムと観光客しかいなくなる。


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嘆きの壁の向こうに黄金屋根が輝いている


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岩のドームはムスリムにとって神聖なる場所。美しい建築だ


次に岩のドームを出てアラビックな土産物屋が並ぶ通りを歩いていると、ある一点を境に様子が変わった。そこから向こうは石壁がきめ細やかになり、土産物屋がガラス張りの店に変わり、イスラエルの国旗がはためいている。僕らと逆方向からやって来た英語を話すツアー団のガイドは、「ここから先はムスリムのエリアなので入らないようにしてください」と指示を出していた。


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こんな雑多な感じだった路地が……


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ある地点を境にガラリと雰囲気を変える


旧市街にはほかにキリスト教徒地区もあって、イエスが最後を迎えた『聖墳墓教会』が精神的中心地となっているようだ。香油を塗るためにイエスの遺体を横たえたという石台に、多くの観光客が唇や額を当てていた。ほかにも十字架を背負わされたイエスが歩いた道とか、最後の晩餐に使われた建物とか、聖書の世界にしかないと思っていたものが現実に転がっていた。


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イエスが死後、横たえられていたという石台


東エルサレムにいるのはほとんどがムスリムで、嘆きの壁にはユダヤ人が集まり、聖墳墓教会には神妙な表情を絶やさないキリスト教徒の人々がいる。と書けば、宗教による厳然たる境界線を強調しているみたいだが、むしろ僕自身は、意外に共存している、という印象を受けた。パレスチナ問題の渦中にいるムスリムとユダヤ教徒においても、である。


正装姿でムスリム地区を歩いているユダヤ教徒もいたし、ユダヤ教徒地区にもアラブ人らしき人もいた。それが自然なのか、理性をもって争いを起こさないようにしているのかは分からないが、少なくとも両者の憎しみが衝突している光景を見るようなことはなかった。


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ムスリム地区を正装姿で歩くユダヤ教徒


イスラエルの実質的首都であるテルアビブには近代的な高層ビルが建っていた。ビーチに行けばビキニの姉ちゃんたちが肌を焼いているし、家族連れが海水浴を楽しんでいた。地元の人で賑わう寿司屋がいくつもあって、僕らもその一つに入ったがなかなかのレベル。オープンテラスのカフェでコーヒー片手にラップトップのキーボードを叩いている若者もいた。市場には気のいい商売人がたくさんいた。


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海を前にしたカフェ。思わず「おお〜」と歓声をあげちゃいました


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テルアビブで食べた寿司。外国でこのレベルなら十分合格点


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市場には感じのいい活気があふれていた


エルサレムでは思った以上に共存が図られていることを感じ、テルアビブではオープンで近代的な町の姿に健全さと柔軟性を感じた。若者を中心にこの国はもっと平和的な国家になっていくのではないかと期待させるものを感じた。


でもユダヤ教の「選民思想」というのはそんな生易しいものではないらしい。「自分たちは神に選ばれし者で、他民族を神に導く使命を持つ」という考え方を本気で持っているとしたら滑稽を過ぎて、ちょっと手に負えない。どの程度までこの思想が浸透しているのかは定かではないが、以下のような話は聞いた。


旅先でイスラエル人と恋に落ちた日本人女性。深い仲になり、子どもができ、さあ結婚という段階でユダヤ教に改宗することを迫られる。それを断ると彼は去っていく。受け入れるにしても、「選ばれる」ためには非常に厳しい試験が待ち受けているという。また、ユダヤ教に改宗した日本人女性の娘が非ユダヤ教徒である母親に会うことを避けるようになった、という話も。


公平な目を保とうとしてきた努力が水の泡となったのはベツレヘムを訪れたときのことだ。パレスチナ自治区にありながら、イエス生誕の地などの名跡があり観光地として賑わっている。だから、パレスチナ人の悲劇をこの町から感じ取るのは難しいが、現実をありありと伝えるものが一つある。


壁。イスラエルがパレスチナ人の自由な移動を妨げるために勝手に建てた分離壁のことだ。パレスチナ人がその壁をくぐり抜けるには、イスラエル兵の執拗なチェックを受けなければならない。自治区内にもかかわらず、である。ある日、突然目の前に建てられた壁のせいで自分の庭の畑に出かけるのに三時間もかかるようになった。そんな話がごろごろ転がっているという。


日本ではアメリカ寄り、すなわちイスラエル寄りの報道がなされている。「パレスチナ人の暴動」ということで事件が報道されることが多いが、実際にはイスラエル兵によるパレスチナ人の死者のほうがずっと多い。アリがちょっとゾウの足に噛みついたら、ゾウが本気でアリの行列を踏み潰す、というようなことが日常的に起こっているのが今のパレスチナ情勢。「イスラエルによる分離壁建設」がニュースにならない情報の歪みは呆れを通して怖いぐらいだ。「選ばれし者」は何をしてもいいということなのか?


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分離壁を見ているとやり切れない思いになってしまう


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壁に見つけたメッセージ


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壁には厳重なチェックゲートが設置されている


壁の前で絵葉書を持った青年が近づいてきた。「十枚で10シュケル(約310円)だよ」という彼に、大体の物売りにそうするように反射的に僕は"No, thanks"と流して歩き続けた。僕の背中に彼が言う。「この壁はパレスチナの悲劇を物語っているんだ。パレスチナ人を助けると思って買ってよ……」


僕はそのまま歩き続けた。暑い日だった。



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