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写日記03.病院求めて300マイルアメリカ(ラスベガス) 2007年9月7日 右手人差し指に勢いよく刺さったナイフを抜くと、血が大量に溢れ出た。折りたたみ式のアーミーナイフの向きを間違えて使ってしまったのだ。指と爪が縦にぱっくりと分かれ、指の一部を失ったかもとさえ心配した。平静を装おうと努力したが、体のほうがショックを隠しきれず指の震えが止まらない。自分の鈍臭さに泣きたくなる。 嫁さんをうろたえさせないことに気を遣ったが、僕よりもよっぽど冷静だった彼女は手際よく止血と消毒を行った。そのおかげで、とめどない流血は止まり、震えも消え失せた。指がうずくように痛いし、寒さは夜の深まりとともに厳しくなっていく。きつい夜になりそうだと覚悟したが、「寝袋に入ってすぐ寝息を立ててたよ」と嫁さん談。あっぱれ我が睡眠欲! ちゃんと医者に診てもらわなければ心配なので、海外旅行保険を使ってキャッシュレスで診療ができる都市を調べたところ、これからの行程も考えて一番現実的なのはラスベガス。というわけで、ヨセミテから一気にラスベガスを目指すことに。途中デスバレー国立公園を抜け、ビーティーという田舎町で一晩を過ごし、ラスベガスへとひたすら飛ばす。
結果、ヨセミテを出て翌日の正午にはラスベガスに到着。不夜城のごとく砂漠の闇に浮かび上がる姿でご対面とならなかったのは残念だったが、そこはラスベガス。たとえ白日の下でその姿が白けていても、地平にうっすらと浮かび上がっているシルエットは「ラスベガスだぜい!」的な興奮をもたらしてくれた。 しかし、近づいてその姿がはっきり見えたときには笑いが止まらなかった。僕らは変電所の鉄塔群をラスベガスの豪奢なホテル群と見間違えていたのだ。情けなや。
ラスベガスは基本的に夜の街だが、昼間でも多くの観光客でにぎわっていた。その中をくぐり抜けるようにして病院を目指す。たどり着いたこぎれいな病院の待合室で待ってくれていたのは通訳のユキコさん。「抗生物質」だの「破傷風」だのといった専門用語は知らなければどうにもならないので、ユキコさんがいてくれて本当に助かった。 怪我のほうは医者も"Good job!"と褒めるほど嫁さんの処置が適切だったらしく、大事には至らず縫う必要もないとのこと。そしてユキコさんには通訳だけでなく夜のラスベガスで金を使わずに楽しむ方法を伝授してもらったり、僕らのこの後の食生活に劇的な改善をもたらした「クーラーボックスを買ったほうがいい」というアドバイスをいただいたりとお世話になりっぱなしだった。
怪我の心配も一段落し、僕らは心置きなくラスベガスの夜を楽しむことにした。ストリップと呼ばれるラスベガスのメインストリートを歩き回り、無料のエンターテイメントだけをつまみ食いしただけだったが、この街の雰囲気を味わうことは十分にできた。 こんな無駄に贅沢な街を歩きながら、アメリカにおける貧富の差、世界における貧富の差について思いをめぐらし、この街の存在はいいことなのか、悪いことなのか問うてみたりしたが、なんの答えも出ないまま足が棒になり夜は更けていった。 ま、世界一周も相当贅沢なことですが……。
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