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◆旅の雑記帳




04.揺るぎなき信仰

ミャンマー、2001年8月



ミャンマーの敬虔な仏教徒たちにとって一大聖地となっているチャイティーヨパゴダ、通称「ゴールデンロック」。ガイドブックで見ると成金趣味の安っぽさを否めないが、整備不良のタクシーと人を積めるだけ積んだピックアップトラックを乗り継ぎ、さらに一時間の登山でようやくその姿を見つけると、否が応にもありがたいものとしてこの目に映る。


ジャングルを地平まで見渡せる山の頂で、圧倒的な存在感をまとって黄金のストゥーパ(仏塔)は立っていた。山をなでるように爽やかな風が吹き抜け、どこかで鈴の音が生まれている。男たちはどんな祈りを込めているのか、真剣な表情でゴールデンロックに金箔を貼り付けている。聖なる石に触ることを禁じられている女性たちは、それでも、穏やかな表情をたたえてこの地を訪れた幸せをかみしめているようだ。


なるほど、ここは聖地と呼ぶにふさわしい。


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ミャンマーで主に信仰されている小乗仏教がいかなるものかは勉強不足でよく知らないが、それが決して表層的なものでなく、人々の心や血肉に深く浸透しているものであることは僕の目から見ても明らかだった。


ある寺院で声をかけてきた男に「神を崇めて、親に感謝し、教師を尊敬しなさい」と説教をされた僕は「無宗教だから」と逃げようとした。そんな僕を捕まえて「宗教にかかわらず親には感謝をするべきだ。生み育ててもらったという恩は決して忘れてはならないものだ」と迫る男がわずらわしくもあったし、うらやましくもあった。


この国の現状は庶民にとって決して優しいものではない。人間を植物にたとえるとしたら、日当たりや水量を適切にコントロールすべき政治は軍事政権の手中に収まり、国民が自ら葉を大きく広げて成長することを妨げている。民主化を訴える運動家たちは捕えられ、現政権を恐れる人々は政治の話をしたがらない。周りの国々では携帯電話やインターネットが普及し、一個人が持ち得る情報量が飛躍的に増加している一方で、この国では海外の友人に手紙を出すだけでも検閲を気にしながら筆を進めなければならない。


しかし、無責任を承知で言わせてもらえば、ミャンマーに悲壮感はない。それは、仏教の教えを確かな拠り所としながら、宗教の範疇をも越えた道徳心を人々が持ち合わせているからだと思う。少しぐらい光や水が足りなくても、人が人として清く生きるための肥沃な土壌がある。地中で根はがっちり絡み合い、お互いを支え合う。そんな中で成長した人間たちはたくましくて優しい。


道を尋ねると周りの人間を巻き込んでああだこうだと相談し、結局、目的地まで連れていってくれたおばさん。就職先がないことを嘆きながら、旅行者を相手に英語の実践練習をしようと必死だった学生たち。僕が自転車に置き忘れたカメラを盗まれないように見張ってくれていたおじさん。そして、ゴールデンロックに祈りを捧げる男たちとそれを遠巻きに眺める女性たち。彼ら、彼女らの表情は人間の根本的な幸福には金も権力も関係ない、健全な心が必要なんだということを物語っているようだった。



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