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◆旅の雑記帳




07.旅の言葉



敬語の意義って何だろう。


僕は社会を円滑に動かすための潤滑油のようなものではないかと考えている。個人が組織の一員としての意味合いが強い社会では、各人の相対的ポジションを明確にしておく必要性が高い。上司と部下、教師と生徒、客と従業員。そういった上下関係を画一的に示し、コミュニケーションをスムーズにするために敬語が使われているのではないか。


裏を返せば、個人対個人で付き合うときには基本的に敬語なんて必要ないと思う。自分の感情に一番近い表現を使って話せばいい。「ありがとう」と「ごめんなさい」がきちんと使えれば十分である。形式的な敬意を含ませる必要性はないはずだ。


しかし、敬語が深く定着している日本社会では話はそう簡単ではない。目上の相手には敬語を使うという建前があるため、敬語で接しないと相手のことを軽んじているとみなされてしまう。つまり、適切な敬語を使わないことで第二者あるいは第三者を不愉快にさせる可能性が高い。僕だって、社会的かつ公共的な場で敬語を使えていない輩、例えばおじいさんやおばあさんにタメ口で話しかけるテレビのレポーターなどを見ていたら、「こいつアホちゃうか」と思ってしまう。


文化と言葉はお互いにもたれ合っている。もともと上下関係を大切にする文化だから日本で敬語が定着したのだろうし、敬語があるから上下関係に厳しいという部分もあるだろう。だからここで敬語の是非を表層的に議論しても仕方がない。


ただ、旅の共通語は英語でよかったとしみじみ思う。敬語のない英語で。


ご存知の通り英語ではややこしい敬語は存在しない。丁寧な表現(例えばwouldやcouldを使うなど)はいくつか思い当たるが、「食べる」、「いただく」、「召し上がる」のように言葉を変えてまでの敬意表現はない(と思う)し、一人称はI、二人称はyouといたってシンプルである。


互いを知らない者同士が個人的な興味から話を始めようとするとき、対等なところから始まる「you」と「I」の関係は都合がいい。相手の社会的ポジションに対して探りを入れるという作業が省けるので最初の壁を乗り越えやすい。敬語とは、ある意味この「壁」を作って秩序を図るものだから、フレンドリーにいきたいときには不向きなのは当然と言えば当然かもしれない。


バンクーバーでホームステイをしていた4ヶ月間、ずっと同じ釜の飯を食べていたルームメイトのファン・カルロスは年上だった。しかし、彼との会話をあえて日本語に訳してみると、僕は彼にタメ口で話しかけている。彼に向かって開いていた僕の心がそうさせるのだと思う。彼に自分の感情をリアルに伝えようという気持ちがそうさせるのだと思う。


もし僕らの会話が日本語だったら、もし彼に敬語を使わなければならなかったら、十歳年上の彼とどこまで打ち解けられたのか?興味深いところである。


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