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◆旅の雑記帳





08.老人が残していったもの

中国、2000年2月



中国・雲南省、世界遺産の町、麗江(リージャン)。


旧市街の石畳の路地を当てもなく歩いていると、藍色の民族衣装をまとったナシ族の女性とすれ違う。立ち止まり、大きな籠を背負った彼女たちの後ろ姿を目で追っていると、視線が黒い瓦屋根の向こうまで伸びて、気高くそびえる玉龍雪山にぶつかる。その山から降りてきた雪解け水は足元の水路を流れている。その水を使って町の人間は野菜の泥を落とし、うまい飯を炊く。


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絵画的でありながら生活の匂いもほどよく漂うこの町で三人の日本人と知り合った。テツ、池ちゃん、そしてイーさん。麗江から一泊ニ日で訪ねることができる虎跳郷という景勝地に四人で行こうと盛り上がっていたのに、僕らは町の心地よさにおぼれてしまった。お気に入りの店のジンジャーハニーティーで一日を始め、昼間はビリヤード台をみんなで囲み、夜は誰かが吐くまで飲むという生活に、旅を休むことの気楽さを見出していた。


ダラダラと流れる時間の中でテツは体調を壊し、サラリーマンの池ちゃんに課せられた帰国日は間近となっていた。結局、僕はイーさんと二人で虎跳郷への小旅行に出かけることになった。イーさんはウルムチで中国語を勉強している留学生で、言葉が達者なので重宝はするのだが、感覚がちとずれている。初めて宿で出会ったとき、中国語で「日本人だよね?」って声をかけてくるあたりからその予感はあったのだが、見事的中だ。


例えば虎跳郷へ出発する朝のこと。これが別れとなるテツと池ちゃんはバス停まで見送りに来てくれた。それなのに、二人と何も言葉を交わさずにイーさんはさっさとバスに乗り込んで窓の外を眺めていた。


ま、そんな感じの人だ。


ともかく、バスは虎跳郷へ向けて走り出した。バスが麗江の町を抜けると、左手に朝の太陽と向かい合った玉龍雪山が屹立していた。僕は声にならないように「ひ・が・しぃ〜にすむひとは、し・あ・わ・せ」と歌いながら、朝日と万年雪でピンク色に染まった山を眺めていた。玉龍雪山が見えなくなると眠気が襲ってきたが、次は黄色の菜の花畑と黄緑色の稲のコントラストにまぶたを閉じるのが惜しくなった。


三時間足らずでバスはトレッキングの基点となる町に到着。まずは腹ごしらえ。二人の朝食にととっておいた昨日の晩飯の残りをイーさんに預けていたので、それを出すように促すと「バスの中で食べちゃった」。吉本芸人よろしくコケそうになった。腹が減ってはトレッキングはできぬので、一軒の食堂の前で「ここで朝飯食べますわ」と告げると、「向こうに着いたらちょうど昼飯時なんじゃない?」と抜かしよった。


ま、そんな感じの人だ。


にわか相棒を無視して小籠包を胃に収めると、気を取り直してトレッキング開始。棚田の間を縫うようにして斜面を一気に上ると、眼下に金沙江と呼ばれる渓流を捉えることができた。扇のように広がっている棚田とひなびた民家が、険しいこの地でも人間の生活が営まれていることを物言わず語っている。


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どこからかヤギの鳴き声が聞こえてくる。徐々に大きくなる鳴き声とともに僕らの前方に現れたのは、青い人民服を着た一人の老人だった。その胸には足を縛られた小ヤギが抱かれている。僕らがぜいぜい言いながら歩いている岩場を、この老人はヤギを両手に抱えて歩いてきたというのか。


僕らは老人から目を離せずにいるのに、老人は僕らの存在をまるで気にしないで横を通り過ぎていく。僕らは休憩も兼ねて、立ち止まって老人を目で追った。老人は100メートルぐらい進んだところでおもむろに歩みを止め、大きな岩に腰を下ろして一服し始めた。紫煙をくゆらしながら何を想うのか。


時間感覚が麻痺するような静けさの中で、子ヤギが時折響かせる間抜けな鳴き声は場違いに聞こえる。その状況には、誰かの夢を覗き込んでいるような違和感と非現実感があった。


そして、ある深い実感が僕の脳裏に広がり始める。その広がりが隅々まで行き渡るように思考を止めて、老人が煙草をふかす様子を見つめていると、そのうちにまたヤギを抱いて立ち上がり視界から去っていった。しばらくは途切れがちに聞こえていたヤギの声が届かなくなり、我に返ると隣にイーさんがいた。確かに、現実である。夢ではなかった……。


もはや道と呼べるものはなく、ちょっとしたロッククライミングのような岩場の上り下りが続く。難所にぶつかると、イーさんは決まってそれとなく僕を先に行かせる。その先につながる道を僕が確認すると追いついてくる。


ま、そんな感じの人だ。


完全に道を見失った僕らはトレッキングをあきらめて麗江に帰ることにした。麗江の宿に戻ると、驚きながらも温かく迎えてくれたテツと池ちゃんに半日分のイーさんの愚痴をこぼしたが、老人が僕に残していったものについては自分の中にしまっておくことにした。


あのときの深い実感。そして、それに伴う陶酔感。僕はそのことを人に話すよりは、グラスの中のブランデーを味わうように、もう少し余韻の中で転がしておきたいと思ったのだ。「いろんな人生がある」という当たり前の、しかし力強く響いてきた真実を。



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