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◆旅の雑記帳





09.笑顔の新世紀

カンボジア、2002年7月



ドンムアン空港から一時間かそこら空を飛ぶと、バンコクの喧騒を記憶の彼方に追いやってしまうようなド田舎に着いた。空港から町中へはタクシーかバイクタクシーを使うしかない。もちろん安いバイクタクシーを選ぶ。


僕のバックパックをバイクのフレームとそれを跨いだ両ひざの三点で支えるように固定すると、人見知りな青年はアクセルを回した。僕が「自分で持つから」と言うたびに、彼の親切なのかプライドなのか「ノープロブレム」と言って譲らない。別に彼に気を遣っているわけではなく、自分の大切な荷物にプロブレムが起きるのを恐れて言っているだけなんだけど……。まあ任せるか。


肩が軽くなり楽チンになると、睡魔が襲ってきた。必死で開いている目には黄緑色の若い稲がまぶしく、バイクが生む風と揺れは眠気を助長する。記憶を途切れ途切れにしながらも、荷物も僕もなんとかノープロブレムで町に到着。町を貫く道路はバイクや下校中の学生であふれている。空港から町までの静けさが嘘のようににぎやかな町だった。


中国人がオーナーの安宿にチェックインを済ませてニ階の部屋でシャワーを浴びると、濡れた髪が乾かないうちにスコールが始まった。


僕にとって東南アジアのスコールは決して忌むべきものではない。町をぶらついているときに降られて商店の軒下に飛び込むと、先客のおばさんが「まいっちゃうわね」ってしかめっ面で微笑む。そのときの自分の一片が土地に溶け込んでいくような感覚が好きだ。部屋にいるときに降るスコールもいい。空が暗くなって、ぱんぱんに膨らんでいた熱気が冷やされていくのが分かる。そして、大粒の雨が屋根や地面を叩く音が心地よく体に響きわたり、最高の子守唄となる。


このときも例外ではなく、スコールの恩恵を長い時間楽しんだ。部屋にいた大きなコオロギが体や顔の上を飛び跳ねるのも無視して眠り続けた。目が覚めると空は晴れ上がり、夕方の色が濃くなっていた。


やることもないので、ロビーで赤ん坊を真ん中にして仲良さげにしゃべっている若い夫婦に暇つぶしを求めた。快活な笑顔の二人。この両親に育てられたら、赤ん坊もさぞかし気持ちのいい人間になるだろう。そんなことを思っていたら、男は赤ん坊の父親の友人であり、目の前の男女はただの仲良しと判明。


「えっ、夫婦ちゃうの?」と驚くと、「こいつと?まさか!」ってな感じで男は文字通り腹を抱えて笑い出す。若いお母さんも大笑いしている。僕もつられて笑う。赤ん坊だけがきょとんとして笑う大人たちを見ている。


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宿の前にあった屋台のおばちゃんは世間話に興じていて商売っ気ゼロ。僕がプラスチックの安イスに腰をかけると慌てて駆けてくる。おばちゃんは数字以外の英語がからっきしだめなので、英語とクメール後で書かれたメニューの曲線的な文字のほうを僕は指で差す。おばちゃんがにっこりとうなずく。


おばちゃんは手早く調理を済ませると、料理をテーブルに、蚊取り線香を足元に置いていく。しわくちゃの笑顔も添えて。"Noodle Soup with Vegetable"がただのインスタントラーメン(しかも、まずい)でも許しちゃう。


その屋台の周りでは、日本だったら「もう寝なさい!」と怒られる時間に子どもたちがきゃっきゃと遊んでいる。大人たちに子どもを叱る資格はない。母ちゃんたちの井戸端会議はこの時間になって最高潮の盛り上がりを見せ、父ちゃんたちはバイクを乗り回して夜を満喫しているのだから。


近くにいたおじさんに両替屋の場所を尋ねると、「ちょっと待て」と言い残してその場を走り去ってしまった。五分後に、バイクに跨ったおじさんが再登場。そして、得意げににやっと笑う。「後ろに乗りな。連れてってやるよ」


この国は二十世紀の終わりにやっと自由を手にしたばかりだ。大人たちのはちきれそうな笑顔と素朴な優しさは、彼らが苦渋の二十世紀を知っていることの裏返しなのだろうか。いろんなモノに囲まれて安全に暮らすことに慣れた金持ちの男はそんなことを考えながら今日もおばちゃんの屋台でまずい晩飯を食べている。



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