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◆旅の雑記帳





10.もがき進む

インド、2000年1月



「どうして俺を信用しないんだ!」


男に声を荒げられたのは、インドという地をもがき進むことに疲弊し、インドが好きだと思った次の日には嫌いになる、その繰り返しに慣れてきたころだった。


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満月の幽玄な光に浮かび上がるタージマハルは夜明けとともに刻々と色味を変え僕を魅了した。太陽が高く昇るまで白大理石の墓廟を眺めていたい気もしたが、クライマックスは終わってしまったという思いに背中を押され、その日の午前中にはタージマハルを後にすることにした。


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次に目指すのはカジュラホという小さな村。男女があられもない体位で絡み合っている交合像が有名で、その像が彫られた寺院は世界遺産にも指定されている。数年前まではただの寒村にすぎなかったというカジュラホで、青空の下、エロティックな彫刻を見ながらのんびりするのも悪くないだろう。


アグラからジャンシーという乗り継ぎの町までは列車で移動する。ジェネラルコーチ(二等自由席)にしてはそれほど混み合ってはいなかったが、インド人の中に放り込まれた一介の旅行者が席を勝ち取れるほど甘くもない。通路に隙間を見つけて荷物と自分の身を置く場所を確保できれば上等だ。


車両の隅で三角座りしているジャパニが気の毒に見えたのだろうか、近くの席に座っていたおばさんが手招きをしている。女性であることとふくよかな体型(ふくよか→いいもの食べてる→中流以上→旅行者をカモ扱いしない!)に安心して近づいていくと、親戚同士らしいおじさんたちに「ちょっと詰めてやってよ」という感じで声をかけて席を空けてくれた。


「どこから来た?」、「どこへ行く?」、「名前は?」、「結婚は?」、「仕事は?」と挨拶代わりの質問攻撃が終わると、「あの川の向こう岸にはたくさん泥棒がいるんだ」、「あれはレンガを焼いているんだ」と窓から見える風景を石丸謙二郎ばりの丁寧さで解説してくれる。「お腹がすいてるんだ」とこぼせば、菓子を振舞ってくれる。


砂糖菓子の甘さに胸焼けを覚えながら、この平和なひとときをありがたく思う。今ここでは何の駆け引きもいらない。列車やバスで過ごす時間は観光地ずれしたインド人から解放され、素朴なインド人とまったりと過ごせる貴重な時間なのだ。「カジュラホの次はうちにおいでなさい」と名刺を残して、おばちゃんたちは途中の駅で列車を降りた。その後も、一人で静かに過ごす時間は心地のよいものだった。


……今日はインドが好きな日になりそうだ。


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ジャンシーで列車を降りると、そのままカジュラホ行きのバスに乗るためオートリキシャ(三輪バイクタクシー)をつかまえてバスターミナルに向かった。ドライバーの男が前を向いて運転したまま時間を尋ねてきた。腕時計を見て2時20分だと答えると、「その時間じゃカジュラホ行きのバスはもうない」と男は同情する様子もなく言った。嘘に決まってる。宿に客を連れていってマージンを稼ぎたいだけなのだ。


「いいからバスターミナルに行ってくれ」とできるだけ無感情に言うと、男は大人しくバスターミナルに向かった。しかし、到着したバスターミナルの窓口のおやじは無情にも「今日のバスは終わった」と言う。僕はドライバーの男に対して決まりが悪いもんだから、「他にカジュラホまで行く方法はないの?」とおやじに粘ってみたが、「お前は英語が理解できんのだな」と嘲笑を浮かべたきり全く相手にしてくれなかった。


自分の中で処理しきれない腹立たしさをドライバーの男にぶつけた。「どうして最初にバスがないことを教えてくれへんねん!」と。男がクールに応じる。「『バスターミナルに行け』と言ったのはお前だろ?」


……今日もインドが嫌いな日になりそうだ。


どうやら、この町に泊まるしかなさそうだ。仕方なく男の運転するリキシャで駅に戻る。宿を探すのも面倒だから、駅にあるリタイアリングルーム(簡易宿泊所)に空きを求めるが満室。男はここぞとばかりに「宿か?」と言い寄ってくる。「いらん!」と間髪入れずに声を上げた僕に男がキレた。「どうして俺を信用しないんだ!」


「何を!俺をこんなに疑心暗鬼にさせたのはお前らインド人やろ!!」と心の中で反論するが、怒りに震えるインド男児の顔には正直ビビってしまう。一段と深く濃くなった顔を前に、平気を装ってこう言ってみる。「俺は疲れてる。だからここで休んで、飯を食って、それから自分で宿を探しに行く」と。「ここで飯?どこに食堂がある?」と怒りながらも実に的確な指摘をする嫌なヤツだ。「……分かった。俺の負け」 僕は打ちひしがれ、三度男のリキシャに乗った。


連れていかれた安宿の言い値は175ルピー(約450円)。安くはないがまあまあの部屋だったので125ルピーまで値切って手を打つことにした。廊下ですれ違ったインド人の宿泊客がいくら払ったかと尋ねてきたので、125ルピーと答えると彼はひどく落胆した。「僕は175ルピーだった……」


彼には悪いが、おかげでささくれだっていた心が少し丸くなった。「他人の不幸は蜜の味」というわけではない。いや、それも全くないと言えば嘘になるが、インド人と同等の扱いを受けたことが嬉しかったのだ。腹も満たしてすっかり機嫌を取り戻した僕は、ドライバーの男の提案に従って映画館に行くことにした。


男がずっと宿の前で待っていたのは、僕のことをいいカモだと踏んだからに違いない。しかし、もうどうでもよくなっていた。この国では自分の価値基準や行動様式に固執しても疲れる割に得るものは少ない。それなら堪忍袋の緒を緩め、開き直るほうが得策であることを僕はこれまでの旅で学んでいた。学んではいたが、行動に移すのは容易ではない。けど、ここは男に心を開いてみよう。その代わり、今日はとことん付き合ってもらおうじゃないか。


映画館は繁盛していた。人込みをかき分け窓口でチケットをニ枚買った。これで今までのことを水に流して男と仲良くなれるだろう。男は素直に「ありがとう」と言うだろうか。あの険しい表情を緩めるだろうか。僕は少し浮かれながら男にチケットを渡した。しかし、男の口から出てきたのは礼の言葉でも親愛の表現でもなかった。


「お前と映画を見ている間に俺は100ルピーの稼ぎを失うことになる」


そう言って男はチケットを持ったまま人込みの中へと消えた。しばらくして戻ってきた男は「映画が終わる時間には迎えに来るつもりだけど、会えなかったらこれを他のドライバーに見せるといい」と宿の名前を書いた紙切れとチケット一枚分の払戻金を僕の手に置いた。請求された運賃15ルピーは拘束時間を考えれば安いぐらいだった。そして、僕はこの男が映画の間に100ルピーを稼げるわけがないことを悟った。


ただ長いだけのつまらない映画が終わって外に出るとすっかり暗くなって、商店や屋台の白熱灯が町を浮かび上がらせていた。僕は男が見つかってほしいような、ほしくないような複雑な気持ちでその中を歩き始めた。


この国を好きとも嫌いとも言い切れず、もがき進む日々はまだまだ続きそうだった。



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