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◆旅の雑記帳





14.眠りの途中で

ミャンマー、2001年8月



ドライバーのジェイがボンネットの蓋を開けてエンジンルームを覗き込んでいる。僕とアディは彼のそばから離れないことによって、「できることがあれば協力するよ」という意思を示しているつもりだ。イリーは車から少し離れたところでつまらなさそうに突っ立っている。


三十分ぐらいそんな時間が続いただろうか。


アディとイリーはハネムーンの地にミャンマーという軍事政権国を選ぶエキセントリックなセンスを持ち合わせたイスラエル人の新婚さん。僕らはタクシー代を折半して、ミャンマー南部のパゴーの町から聖地ゴールデンロックへの日帰り旅行に出かけていた。


タクシーがエンジントラブルを起こしたのはその帰り道。朝5時に出発して車に揺られ、目まぐるしく変わる天気の中で山登りをし、新婚さん相手に多少の気を遣っていたせいだろう。冷房の効いたタクシーの助手席に座るとすぐに眠りに落ちた。極上の眠りから僕を起こしたのは何度もエンジンキーを回す音だった。


すぐ近くに集落があったので、何人かの男たちが集まってきた。しかし、男たちの輪が大きくなっても、その中心にある車は一向に動き出そうとしない。僕は自分がメカに疎いことを思い出して、その輪から抜け出した。アディも機嫌を損ねているイリーを慰めることに本腰を入れ始めたようだ。


僕は何かイリーにしてあげられることがないかと考え、リュックのサイドポケットに押し込んであったウェットティッシュを取り出した。彼女はそれを受け取ると、顔に当てて少しだけ笑った。アディがイリーにしてあげられること。それは頬を両手で優しく包み、額に軽くキスをすることだった。ウェットティッシュの立場なし……。


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辺りには黄緑を凝縮した稲が一面に広がっていた。そして、緑の絨毯を二分するように延びているレールの上を、車体を横に揺らしながらマラソン選手に負けそうなスピードで鈍行列車が過ぎていった。暗雲が強烈なにわか雨を降らせながら通り過ぎると、惰性でそのまま夕刻の空になった。


ときどきアディはイリーにキスをする。キスの一部始終を、互いにわき腹をつつきながらにやついて見ているガキんちょたちを、僕はにやついて眺めている。キスの力も虚しく、イリーのご機嫌は傾く一方。アディは困り果てて「別のタクシーを呼んでもらおう」と僕に提案してきたが即座に「ノー」と答えた。


油で手を真っ黒にして、ニ時間もエンジンルームをいじっているジェイにそれほど失礼な態度はない。それに僕は、名も分からぬ素朴な村で過ごせるひと時を、エンジントラブルに感謝したいほどに楽しんでいるのだ。ハネムーンでこの状況は確かに同情するが、ミャンマーなんて国に来たからにはこれぐらいのトラブルを楽しむ覚悟がないとだめだ!……なーんて。


陽が落ちて刻々と暗くなる空の下、僕は折り紙を取り出しておもむろに路上にあぐらをかいた。あっという間に子どもたちに取り囲まれた。いいリアクションだ。俄然ヤル気になる。まずは十八番のフーセン。完璧な出来のはずなのに、穴からフッと息を吹き込んでも膨らまない。紙が湿気を吸い過ぎてしまったらしい。


手元が見えにくくなってきたので、隣の男の子にライターを渡す。「火をつけといてくれ」と。指令を与えられた彼の顔に微かな優越感と緊張感が浮かぶ。小さな手の中の灯りを頼りに僕は二つ目のフーセンを折り上げる。次はうまく膨らんだ。子どもたちから感嘆の声が漏れる。


しかし、好奇心に満ちた瞳の輝きは強くなりこそすれ、衰えは見せない。「次は?」と無言で尋ねている。「もう少し派手なやつにしたろ」とヒコーキを折り始めるが、うまく思い出せない。よく飛ぶのとか旋回するのとかいろいろあったのに忘れてしまった。子どもたちの期待をちくちくと感じながら、それらしい形のものを作り上げて、すっと空気に乗せてみる。するとどうだろう。ヒコーキは見事な放物線を描きながら地面に墜落した……。それでも、嬉々として子どもたちは墜落機を奪い合っている。ああ、よかった。


ほっとしたのも束の間。よく気のきく、利発で優しい、そしておせっかいな少年がろうそくを持ってきて明かりの安定供給に成功してしまった。ろうそくの火に映し出される子どもたちの顔は本当に可愛い。この顔を一層輝かせるためには、あれしかない。ケツをちょんと指で弾いてやると立派にジャンプをする難易度Aのカエルだ。


記憶があやふやなことをごまかすため、一折り一折りを仰々しく時間をかけてこなす。しかし、どうやっても目的の形には程遠い。落ち着け。落ち着け!落ち着け!!


そのときだった。


……ポツ、ポツ、ポツ、ザー。


降りだした雨に子どもたちは「ア〜」と落胆の声を上げる。僕も子どもたちに合わせて「あ〜」と天に感謝する。


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そうこうしているうちに完全な夜が訪れ、結局、プロの整備士がやって来てやっと車は動くようになった。イリーは機嫌を取り戻して饒舌になる。「あなたを信じなかったことを許して。私は自分が情けないわ」とジェイに平謝り。その身代わりの早さにうんざりしつつ、だけど、キュートだなと思うのは男の甘さだろうか。


再びタクシーが走り出すと、長く中断された眠りの続きを楽しむ。眠りの狭間でうっすら目を開けると、タクシーは大人の背よりも高いトウモロコシ畑に挟まれた未舗装の道を走っていた。ぼやけた視界にたくさんの光がトウモロコシの間を縫うように舞っていた。しかし、重いまぶたがそれ以上光を追いかけさせてくれなかった。


あれは夢だったのか、幻だったのか。



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