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写日記43.ヨルダン イズ オンリー ワンヨルダン(ペトラ遺跡) 2008年6月8日~6月10日 半ば予想はしていたが、ペトラ遺跡にわざわざ足を運ぶ必要はなかった。別に遺跡そのものがくだらないというわけではない。僕好みでなかったのだ。そして暑すぎた。僕よりはいくらか遺跡に興味を示す嫁さんですら食いつきが悪かった。 岸壁を掘り抜いて造られたエル・ハズネは『インディ・ジョーンズ-最後の聖戦-』の舞台となったことでも有名。太陽の角度によって刻々と色合いを変える様、下から見上げたときに立ちはだかる姿など確かにすごいと思うが、ただの飾り物という印象が強い。これが何のために造られたのか知らないが、そこが人々の信仰や生活の一部として使われていたという重みが感じられない。
せっかくここまで来たんだし、と最奥部にあるエド・ディルまで炎天下の上り道を数時間かけて歩いたが、そうまでして訪れる価値を見出せるものではなかった。エル・ハズネをもっと安っぽくした感じだった。
少なくなってきたペットボトルの水をチビチビと飲みながら来た道をトボトボと戻る。コーラも水も何もかもバカ高いから、遺跡を出るまではひたすら我慢。 帰路に見たエル・ハズネは朝とは違った色でなかなか。でも、それ以上に遺跡を出てから安い商店を探し、冷たいコーラを喉に通したときの感動のほうがずっと勝っていた。
泊まった宿ではくだらないことで従業員ともめるし、ヒッチハイクに成功したと思って乗った車がセルビス(乗り合いタクシー)で料金を請求されたり(これはこっちにも非があるが、なんだか騙されたような形で後味が悪かった)、道を尋ねれば「あっちに行け」と命令口調で言われたり……。 アンマンがどうしようもなかっただけに、イスラエルから戻ってきた今回も、ハナっから「この国とは相性が悪い」と思い込んでいた。だから、ささいなことで「やっぱりヨルダン人はダメだ」と決め付け、また思い込みを強くするという悪循環に陥っていた。 最後、エジプトに渡るフェリーに乗船するためアカバという町へミニバスで向かったときは最悪だった。どうも最初から態度の気に食わない乗務員だと思っていたら、案の定、アカバに到着したときの言い草がこんな感じだった。「おい、アカバに着いたのに何やってんだ!早く降りろ!!」 もちろんいい人もいた。バックパッカーの旅なんて地元の人の親切に頼らないと成り立たないものだから、なんだかんだ言いながらも多くのヨルダン人に世話になったことは認める。しかし、そういう人たちの笑顔や親切でヨルダンの思い出を彩ろうとしてみても、意味もなく罵声を浴びせたり、人を馬鹿にするような態度をとった男たちが脳裏に浮かび上がり、全ては真っ黒に塗りつぶされてしまうのだ。 僕はこれまでインド、中国、モロッコなどクセの強い国も訪れたことがある。そういう国でも旅が終われば、苦い思い出も美化されて、甘美な記憶が際立ってくるようになる。だから今まで「嫌い」と言い切れる国なんてなかった。 でも、できてしまった。「嫌い」と胸を張って言える国が。それはそれで少し嬉しい気もする。希少価値のあるものに出くわした感があるし、何にしても言い切れるということは気持ちのよいことだから。 「僕はヨルダンが嫌いです」
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