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◆夫婦で世界一周 |
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写日記24.アルゼンチン北上中アルゼンチン(ブエノスアイレス、フフイ、ウマワカ渓谷、ラキアカ) 2008年1月22日~1月27日 ウシュアイアからブエノスアイレスへは飛行機を使った。空港を離陸した飛行機から見る景色は、海と山に囲まれたウシュアイアのちっぽけさを印象付けると同時に、こんなところに町を作り上げた人間の根気を感じさせるものだった。
この二人旅を始めてもうすぐ五ヶ月になる。その間、言ってみればシャワーとトイレ以外はほとんど顔をつき合わせて過ごしている。うまくいっているときは問題ないが、全てが全てハッピーとはいかない。 小さな衝突を繰り返しながらもこれまではなんとかうまくやってきたつもりでいたが、ちょっとしたことをきっかけに互いの堪忍袋の緒が切れたのがこの機内でだった。 最初は怒声を飛ばし合った。その後、沈黙が続いた。そして、今後どうすべきかを話し合った。これですべてのわだかまりが晴れたわけではない。しかし、これまで溜めていたものを吐き出したことは無駄ではないはず。まだまだ続く二人旅。これからは相手のために「変わる努力」もしていかなければ……。 この口論で相当なエネルギーを消費したのに、その直後にロストバッゲージというトラブル。アルゼンチン航空に詰め寄ると、すぐに荷物を見つけて宿まで持ってきてもらえるということだったので、その場はそれでおとなしく了承した。
ブエノスアイレスでは上野山荘ブエノス別館に宿泊(以後、略して別館)。伊都子さん(上野山荘の綾子おばあちゃんの娘さん)が切り盛りしている日本人宿である。ここではイースター島以来となるケイ君、カラファテ以来となる新ちゃんに再会。 ケイ君はちょうどこのとき別館の管理人をやっていて、いろいろと世話になった。ありがとう、ケイ君。新ちゃんはブエノスアイレスからスペインに飛ぶ予定だったが、「ウユニ見ないなんてもったいないで。一緒に行こ~や~」と僕らがカラファテで誘惑したのに乗っかることにして、到着を待っててくれた。
ブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれるアルゼンチンの首都。南米の猥雑さとヨーロッパの上品さがないまぜとなって、ほかの南米の都会にはない魅力を醸し出している。 が、3月上旬にガラパゴスを目指す僕らにあまり時間はない。だから、アルゼンチン北部のフフイ行きのバスのチケットを既に買っている新ちゃんに合わせて、二日後には僕らもブエノスアイレスを発つつもりだった。 しかし、荷物がすぐには出てこなかった。空港に出向きアルゼンチン航空に文句を言うと、あちこちに電話をかけまくり、やっと僕らの荷物の場所を突き止めたらしい。昨日は荷物がどこにあるかも分からず、テキトーなことを言ってごまかしてたわけか……。 「今夜中には宿に届ける」とぬかすがこれまでの経緯からして信用できるわけがない。僕らはそのことと、このトラブルのせいで予定を変更してブエノスアイレスにもう一泊せざるを得ないことを訴えた。係の女性はボスを呼ぶからと僕らをなだめた。しかし、三十分待ってもボスは現れない。「どれだけ待たせるんだ」と言い寄ると別室に連れて行かれた。そこでも同じことの繰り返し。プッチ~ン。「はよせんかい!コラ!」 結局ボスは登場せず、一人50ドルずつの金を投げるように渡されてそれっきり。そういう問題じゃないやろ(内心、懐が少し温まって嬉しいけど)と、改めてボスを要求。結局、課長級ぐらいの男の登場でごまかされたが、彼の名前と連絡先を聞き、「今晩荷物が到着しなかった場合にはあなたに直接電話します」と言ってその場を去った。
このごたごたのあとは、ブエノスアイレスの別の宿に泊まっていたカンタ&ヨシミちゃんカップルと待ち合わせをしてタンゴショーに出かけた。会場となるレストランは着飾った紳士・淑女で席が埋まっており、ちょっと肩身が狭い。Tシャツやらジーパンで行くところではなかった……。 ショーのほうは単なるダンスの披露かと思っていたが、一応ストーリーがあるらしく台詞なしのミュージカルといった様相。狭いステージで三組の男女がぶつかることなく大胆なステップを踏むのを見て、すごい!というよりも、上手くこなすな~、という感想。 個人的にはタンゴの上手い無表情なダンサーたちよりも、ステージの最初と最後に登場したオッサンの独唱のほうが心に響いてくるものがあった。
タンゴを見終わって宿に戻ると、無事荷物が届けられていた。よかった、よかった。 翌日、一足先にフフイに向かう新ちゃんと、ブラジルを目指して出発するカンタ&ヨシミちゃんをお見送り。そして、僕らは次の日のフフイ行きのバスチケットを購入した。 やっと全てが落ち着いたその日の夕方、ボカ地区に出かけた。実はどういうところかよく知らなかったのだけど、タンゴ発祥の地であり、ボカ・ジュニアーズのスタジアムがあり、カラフルな家が立ち並ぶカミニートがありと、ブエノスアイレスでは人気の観光地らしい。 でも、まあ僕としては夕方にちょこっと散歩したぐらいで十分。観光地として構えている街区よりも、その周辺で普通に生活している人の姿のほうが面白味があった。
悶々と始まったブエノスアイレスでの日々だったが、夫婦仲も軌道修正されたし、荷物も戻ってきたし、溜まっていた洗濯物も洗ったし、気分を一新してフフイに向かうことができそうだ。
久しぶりの夜行バスに乗ってフフイへ。次の日の昼にフフイのバスターミナルに到着すると、新ちゃんが待ってくれていた。これからしばらくは三人旅。心強い。 フフイまで来ると、町の雰囲気はアルゼンチンというよりもボリビアに近い。路上にはカラフルなパラソルの下に露店が並び、そこで売っているものは食物から日用品まで様々。これまでのアルゼンチンでは見ることのなかった雑然とした活気に満ちている。
洗練された感じはないが食が充実している。町なかの屋台で買うハンバーガーは約1ドル。トマト、タマネギ、レタスを挟んだパンに、目の前で焼いてくれる肉や卵をのせ、ケチャップやマスタード、サルサで味付け。これを歩きながら頬張るのが無性にうまい。 フフイのベストメニューはナポリターナと呼ばれるもの(スパゲティーではない)。叩いて薄くした牛肉に小麦粉をつけて揚げたものの上に、ハム、チーズ、目玉焼きをのせたもの。サラダとフライドポテトの付け合せが皿を埋めるようにばらまかれていて2ドル。 これまでアルゼンチンでは安い牛肉を買ってきて嫁さんが料理する生活が続いていたので、外でこれだけ安くうまく食べられるのは楽チンでありがたい。
食の充実振りに居心地のよさを感じたフフイだったが、見所らしい見所はない。翌日にはフフイの北にあるウマワカ渓谷に立ち寄りつつ、ボリビアを目指して北上することにした。 ウマワカ渓谷は虹色と形容されるカラフルな地層からなる渓谷で、2003年には世界自然遺産にも登録された場所。僕らはプルママルカという村でバスを下車して、渓谷を見学したがまあまあといったところ。確かに何色かの地層が重なっていて頑張れば虹と言えなくもないが、なんせ規模が小さい。 ただ、プルママルカで見られるのは渓谷のほんの一部で、バスから眺めていると遠くにもっと見応えのあるスケールでカラフルな岩肌がむき出しになっているところもあった。だから、時間をかけてじっくり見学すれば「南米のグランドキャニオン」という異名にも恥じない姿を堪能できるのかもしれない。
プルママルカに数時間滞在したあと、バスを乗り継いでボリビアとの国境の町、ラキアカへ。ここまで来ると完全に高原の国ボリビアを感じさせる風景と気候。標高も軽く3,000メートルを越えている。 いよいよ明朝は歩いて国境越え。いろんな面でまだまだ発展途上のボリビアに、チリとアルゼンチンで平和ボケした心身がついてこれるかどうか少しばかり心配だ。
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