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写日記35.ガウディに会いに行くスペイン(マドリッド、バルセロナ) 2008年4月15日~4月23日 空港ターミナルはキラキラ輝き、シャトルバスが走る道路も極めて滑らかだった。南米でもサンパウロやサンチアゴ、カラカスなどの空港は十分以上に近代的で清潔だったが、マドリッドのバラハス国際空港はさらにその一段上をいっていた。世界一の営業距離を誇るマドリッドの地下鉄も都会の景色そのもの。秒刻みで次の電車の到着時刻を知らせる案内表示は「先進国」の慌ただしさを映し出していた。 スペインって西欧の中では経済的には下のほうという認識があったが、それが間違いだったのか、それともほかの西欧諸国がもっとすごいのか……。このあと二週間、スペインを回りながら常々僕の中にあった疑問である。 しかし、考え直してみるとマドリッドの空港も地下鉄も別に驚くほどのものではない。よくも悪くも、これと同等以上のインフラで日本の国土はガチガチに固められている。中南米に長く滞在した僕の基準が日本にいるときと変わっただけの話。このまま日本に帰ったら「ブラボー!ニッポン!!」ってなるだろう。
三泊したマドリッドでは特に面白いことはなかった。久しぶりのスペイン語は嬉しかったが、スリの気配には緊張感を強いられるし、地下鉄では乗客の視線が集まって心地悪い。西欧の都会、それも一国の首都でこれはいただけない。 美術館でピカソの『ゲルニカ』を見ても確認作業を終えただけという感じだったし(ま、もともと僕らは美術館向きの人間じゃない)、町並みは南米各地の旧市街と呼ばれる場所と似ているし(スペインの植民地だったのだから当然だ)、予想していたとはいえ物価の高さは心を冷え冷えとさせた(ドミトリーのベッドで3,000円以上!)。 そんな中で僕らを癒してくれたのがスペイン版居酒屋のバル。雰囲気も味も評判どおり素晴らしかった。が、これも懐を気にしながらチビチビとやらざるを得ないのは少々つらかった。
世界の絶景や野生動物を自分の目で見たくて始めた世界一周だが、巨匠ガウディの建築は世界一周のコンセプトに関係なく当初から見学するつもりだった。 日本を出る前にNHKのある番組でいかにガウディが自然から多くのヒントを得、要所要所で人間工学を考慮していたかということを知った。それまでガウディの作品を奇抜な巨大芸術品としか捉えてなかった僕は、そこに機能性を考慮していたという事実に感心し、そして、一緒にこの番組を見ていた嫁さんも俄然ガウディに興味を持ち始めたのだった。 そういうわけで、今僕たちはバルセロナのサンツ駅のベンチに座っている。 さっきから挙動不審な人間が近くを行ったり来たりしている。まだ夜が明けきらないうちにマドリッドからの夜行バスでサンツ駅に到着した。予約していた宿に連絡をすれば従業員が迎えに来てくれることになっていたのだが、電話がつながらない(あとで宿側の電話に不具合があったことが分かった)。もう何時間も駅のベンチで待ちぼうけしている。 突然一人の女性が近づいてきて、僕の耳元で早口の英語をしゃべる。「あなたたちの荷物を盗もうとしている人がたくさんいるわよ。あなたはそのことに気付いてた?ほら、あそこの男も。さっきからずっと教えてあげたかったけど、あまりにもヤツらが近くにいるから言えなかったのよ。気をつけなさいよ!」と一気に言うだけ言って去って行った。もっとも、僕の目にはその女性も怪しかった。 結局六時間待たされてやっと宿に連絡がとれた。ガウディ建築を見たくてわざわざやって来たバルセロナのスタートは散々だった。
ガウディの代表作といえば、かの有名な『サグラダ・ファミリア』。未完成ながら超大作。詳細な設計図を作成せず、模型でその完成形を示したらしいが、その模型もスペイン内乱で粉々に。残されたわずかな資料や模型の破片からの推測、そして職人による伝承をもとに建設が進められている大聖堂だ。完成まであと数十年はかかると言われている。 少し距離をとってまずは全体を見渡してみた。テレビや写真から受ける印象よりも低く見える。もっと高い鐘楼が裏側にあるのだろうと、一周してみるが雲を突き抜けるような尖塔は見つからない。あれ、こんなもん?
ディテールはさすがに凝っている。特に東側の「御生誕の正面」は気の遠くなるほどに緻密な彫刻がこしらえられている。一つ一つの彫刻には宗教的な意味があってストーリーを構成しているらしいが、キリスト教に疎い僕には焼けただれた壁のようにも見える。嫁さんは「可愛い」と喜んでいるが、僕には解せない。
反対側の「御受難の正面」は御生誕の正面とは対照的に、えらくさっぱりした現代彫刻でイエスの身に起こった悲劇が表現されている。こちらは僕にも分かりやすい。入り口付近には鞭打ちや磔に遭う悲痛な表情をしたイエスがおり、視線を鐘楼の先端付近に移すと昇天したイエスが見つかる。
聖堂の内部を上ったり下りたり、一周したりすると目まぐるしくいろんな世界が展開されるのが面白い。でも、秘密基地でも遊び場でもない聖堂を、ここまで複雑で凝ったものにする必要があるのかどうか……。
バルセロナに滞在中、夕暮れ時に黄金色に染まった姿や、現在ある八本の鐘楼が一度に見えるガウディ通りからの雄姿など、様々に表情を変えるサグラダ・ファミリアを見た。 特に素晴らしかったのがライトアップされた夜の姿。日中は好意的に見ることができなかった微細な彫刻たちが、闇の中で光を得て活き活きと浮き上がるように見えた。そして、夜空に伸びていく鐘楼は厳かだった。
住宅建築の『カサ・バトリョ』もガウディらしい独特の外観を持っている。モザイク模様で外壁は明るく彩られ、二階の波打った大窓は建物に開放感を与えている。その一方で、がい骨のようなバルコニーや、骨型の柱が不気味に存在している。一瞬、奇抜さを追及しただけの建築かと早合点しそうになったが、そんなことはなかった。
サグラダ・ファミリアでは過剰な彫刻や装飾に辟易した部分もあったが、カサ・バトリョは中に入ってみるとガウディが重視していた機能性が随所に見られ感心させられることが多かった。聖堂という象徴性に重きが置かれる建築よりも、機能性を追求すべき住宅建築のほうがガウディの才能をぶつけやすかったのかもしれない。 手にしっくりとなじむドアの取っ手、自然換気を利用した洗濯室、排気効率を考慮した煙突などはガウディがただのデザイン馬鹿ではないことを証明している。かと思えば、複雑な曲線から成る階段、渦巻き模様の天井、自然光と青色タイルの濃淡により海中を疑似体験させるパティオなどにはガウディ独特の不思議な世界が展開されている。
住宅という以上、そこに住む人が落ち着かなさを覚えてしまうようでは失格だ。度を過ぎた奇抜なデザインで居住者の居心地を害してはならないし、ただ機能性ばかりを追及すると面白みのない建築になってしまいがち。その点、このカサ・バトリョは居住性と遊び心を絶妙なバランスで構築することに成功していた。
『グエル公園』も見逃せない。ただし、公園という性質のためか、ここでは機能性うんぬんよりもガウディの持っている遊び心が存分に発揮されているように見えた。
大波を表現したような通路は、歩いていると平衡感覚がおかしくなってくる。その通路の支柱は天井で渦になっていて、ガウディらしさを感じさせられる。カサ・バトリョで気付いたことだが、ガウディは波とか渦という水の形態に並々ならぬ執着があったようだ。
トカゲのオブジェで有名な正面階段を上ったところにある列柱空間は涼しくていい。天井は曲線の凹凸面となっていて、砕いた色ガラスで装飾が施されている。そのおかげで列柱だけでは冷たくなりそうな空間に柔らかみが生まれている。
列中空間の上は広場となっていて、周囲は人間の体形を考慮したベンチが配されている。カラフルなタイル張りで可愛らしく仕上がっておりガウディ色満載だ。このベンチに座り、遠くサグラダ・ファミリアや地中海を眺めながら一休み。ガウディ巡りもなかなか疲れるのである。
あとは『カサ・ミラ』、『カサ・ビセンス』、『グエル邸』も訪れたが、ここでは割愛。上記三作品をじっくり見たあとには、これらはそれほどの傑作とは思えなかった。
また、ガウディばかりに目がいってしまうバルセロナだが、ほかにも個性的な建築が数多くある。ドメネクという建築家による『サン・パウ病院』はガウディの強烈な作品のあとでは建物自体に度肝を抜かれることはなかったが、これが病院として今も使われている、という事実に驚かされた。
旧市街はそぞろ歩きするだけでも楽しい。サン・ジュセップ市場は実ににぎやかでカラフル。しかし、市場という響きも虚しいほどに物価は高い。それでも奮発して市場内のバルで昼食をとったが、値段と見かけの割には味はイマイチでがっかり。
ゴシック地区にある『王の広場』。華やかな印象の強いバルセロナにおいて、そこだけは別世界だった。公開処刑でも行われていそうな冷たさがあるのに、この場所に今まで流れた時間に思いを馳せるとなんとなく落ち着いた気持ちになる。 夕暮れ時、広場の片隅にいたキーボード弾きの男が指を動かすと、優しいメロディーが壁や地面に吸い込まれる。ガウディ作品とは全く異なるその趣きは、しかし僕の中に同じぐらいのインパクトを残していったのだった。
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